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1996-1997シーズン
【1996-1997総括】
長野オリンピックを翌シーズン(1997-1998シーズン)に控え、代表強化や国内競技大会日程など、大きく動きました。1996年12月11日に発表されたのが、男子日本代表の監督交代と、代表チームの選手は来季(1997-1998シーズン)の第32回日本リーグへの一時期の不参加でした。
昨シーズン(1995-1996シーズン)、日本代表監督に就任したデーブ・キング氏でしたが、今後はゼネラル・マネジャー(GM)となり、新監督にはビヨン・キンディング氏が就任しました。キンディング氏は1957年4月29日、スウェーデン生まれ。キングGMとは10年来の知り合いで、過去にデンマーク代表やスイス代表B、ヨーロッパのクラブチームの監督を務めた経歴の持ち主。日本代表監督して、12月15日から26日まで行われたプレ長野カップ、長野カップ、ポスト長野カップが日本代表監督としてのデビューとなりました。その後、代表合宿の指導や1997世界選手権Cプールなどの指揮を執りました。
また1997世界選手権後、日本代表メンバーを固定し、代表から外れない限り日本リーグには出場しないことも明らかになりました。
ちなみにキングGMですが、1997年5月下旬にはNHLのモントリオール・カナディアンズのコーチに就任。しかし、キングGM-キンディング監督体制は継続されました。
第31回日本リーグの日程・方式も昨シーズン(第30回日本リーグ)とは大きく変わりました。3シーズンぶり(第28回日本リーグ以来)に前後期制をやめて1リーグ制になりました。レギュラーリーグの各チームの試合数も40試合から30試合になりました。プレーオフは4位までが進出できることになりました。開催時期も1996年9月18日に開幕し、12月10には全日程が終了することになりました。その後、日本代表組は長野カップや海外遠征などを行い、代表チームのチーム力アップを図りました。一方、日本リーグ各チームは、1997年1月から2月にかけて2回戦総当たりのリーグ戦となったチャレンジ長野カッをを全国各地で行いました。
日本代表の強化を進めていましたが、ヨーロッパ各国のチーム力は想定以上に向上しており、上位進出は並大抵ではありませんでした。1997世界選手権の戦いの舞台はCプールでしたが、以前のCプールの戦いのように白星を積み重ねることはできず、4位に終わりメダルを獲得することはできませんでした。しかし、中国(Cプール8位)・韓国(Dプール1位)より世界選手権ランキングが上位であったことにより、長野オリンピック後の1998年4月に開催される世界選手権Aプールに極東枠で出場できることになりました。これは世界選手権Aプールの参加国数が12から16に増え、1枠の極東枠ができたことによるものでした。1970年代にはあと一歩まで迫りながら夢に終わっていた日本のAプール入り。出場権獲得の道程は1970年とは異なりますが、夢の実現となりました。
長野オリンピックへ向けて強化合宿や遠征なども継続して行われました。代表チームは長野カップ後の1月から2月にかけて、カナダ・ヨーロッパ遠征を行い、13試合を戦いました。学生選抜合宿やパシフィックカップ選抜合宿、さらに全日本女子選抜合宿なども7月下旬から8月上旬にかけて行われました。
長野オリンピックでは正式種目となり世界の強豪5カ国と対戦する女子日本代表。若手有望選手の短期強化も必要となり、1月にはフィンランド、3月から4月にかけては1997世界女子選手権の視察も兼ねてカナダ遠征などを行いました。
男女ともに「PLAY WITH PRIDE」「NEVER QUIT」をテーマに可能な限りの努力を続けました。冨田正一日ア連専務理事は日本アイスホッケー年鑑 平成8年-平成9年 第16号の総括に報告において「国内リーグを3年続けた日系外国人の日本代表への参入も着々と進んでいます。長野オリンピックイヤーに向けてその基礎固めができたと確信しています」と1996-1997シーズンを締めくくっていました。
【1996-1997日本代表】
デーブ・キング監督がGMに、ビヨン・キンディング氏が監督となり、新体制となった日本代表。新体制の始動は1996年12月長野カップ(プレ長野カップ・ポスト長野カップを含む)からでした。日本代表はプレ長野カップでは日本リーグスターズとフィンランドと対戦。長野カップでは予選リーグでカナダとデンマーク、決勝トーナメント・準決勝でフィンランド、3位決定戦で日本リーグスターズと対戦しました。ポスト長野カップではカナダと対戦しました。さらに1997年1月から2月にかけてカナダ・ヨーロッパ遠征を行い、1997年2月には日本国内でカナダと6試合戦いました。
長野オリンピックの前シーズンの今季、さまざまの強化が進んだ日本代表にとってこのシーズンの集大成とも言える1997世界選手権Cプールは、1997年3月22日から28日まで、エストニア・タリンで行われました。参加8カ国を4カ国ずつの2組に分けて予選リーグを行い、上位リーグ(各組上位2カ国)・下位リーグに分かれ、順位決定戦が行われました。予選リーグ初戦のリトアニアに3-0と白星スタートとなった日本。第2戦のエストニアに2-2の引き分け、第3戦のハンガリーに6-1と勝利し、A組1位で決勝リーグに進出しました。決勝リーグの初戦のスロベニアに1-4とこの大会初黒星。最終戦は前日にCプール優勝を決めていたウクライナと対戦し2-2の引き分け。この結果は、決勝リーグ2分1敗(予選リーグで対戦した相手の結果は決勝リーグに持ち越すため、エストニアとは2-2の引き分けに)の4位に終わりました。
ジュニア日本代表は1996年12月27日から1997年1月5日までウクライナ・キエフで開催された1997世界ジュニア選手権Bプールに参加しました。昨季とは試合方式が変わり1回戦総当たり方式に戻されました。日本はAプールから降格後の過去3シーズン、7位、7位、6位とCプール転落の危機にありました。今回もCプール転落の可能性も否定できませんでした。日本の試合は次の通りです。第1戦ノルウェー3-3、第2戦ラトビア3-4、第3戦ウクライナ3-4、第4戦ハンガリー6-1、第5戦フランス1-1、第6戦カザフスタン0-4、第7戦イタリア8-0。結果は2勝2分3敗の6位に終わりましたが、負けた試合でも僅差の戦いがあり、上位進出のチャンスも十分ありました。
ユニバーシアード日本代表は1997年1月23日から2月1日まで韓国で行われた第18回冬季ユニバーシアードに参加しました。前回はオール大学生のメンバー構成でしたが、今回は日本リーガー10人、大学生12人で編成しました。参加8カ国を4カ国ずつの2組に分けて予選リーグを行い、各組上位2カ国は決勝トーナメントの準決勝へ、各組3位同士は5位決定戦、各組4位同士では7位決定戦が行われました。日本は予選リーグでフィンランドに2-4、ロシア2-6と敗れたもの、ポーランドに6-3で勝利し、5位決定戦へ。そこで韓国に5-3で勝ち、5位となりました。
アジア・オセアニアジュニア日本代表は1997年3月14日から17日まで韓国・ソウルで行われた1997アジア・オセアニアジュニア選手権に参加しました。初戦に前回優勝のカザフスタンを6-2で破り、勢いに乗った日本。続く中国に10-3、韓国に4-3と3連勝。2年ぶりに「アジアの盟主」の座に返り咲きました。
女子日本代表は1997年3月31日から4月6日までカナダ・キッチナーで開催された1997世界女子選手権の出場切符を手にすることができなかったため、長野オリンピックへの強化として、夏季合宿、1月のフィンランド合宿、3月から4月のカナダ遠征を行いました。1997年1月5日から14日までフィンランド遠征ではクラブチームとは3戦3勝、フィンランド代表とは3敗に終わりました。1997年3月20日から4月8日まで1997世界女子選手権の視察を行うとともに、エドモントンで3試合、スイスとスウェーデン代表とそれぞれ1試合ずつ、さらに国際大会に参加し5試合戦いました。
【1996-1997主なJIHF主催大会】
第64回全日本選手権Aグループ(1997年3月6日~9日@長野・ビッグハット)
長野オリンピックのメーン会場であるビッグハットに日本リーグ6チームが集結しトーナメントで行われました。前回優勝の王子製紙と2位コクドはシードされ、準決勝から登場となりました。
1回戦は日本リーグとの2冠を目指す西武鉄道が雪印を3-0で破り準決勝で王子と対戦。古河電工は日本製紙クレインズを5-1で破り、準決勝でコクドと戦うことになりました。王子が3-0で西武を破れば、コクドも5-2で古河に勝利、決勝戦は4年連続王子対コクド対戦となりました。決勝は第1ピリオドから主導権を握ったコクドが8-2と完勝。6シーズンぶり5回目の優勝を飾りました。
コクドは昨シーズン(1995-1996シーズン)、無冠に終わりました。さらに今季も日本リーグのタイトルを奪回できずにいただけに、この優勝で無冠を返上しました。一方、王子は1978-1979シーズンで日本リーグと全日本選手権のどちらのタイトルも手にできず無冠に終わったのを最後に、1979-1980シーズンから昨シーズンまでは日本リーグと全日本選手権のタイトルを二冠はもちろんですが、どちらかは手にしており、18シーズンぶりの無冠に終わりました。
第31回全日本選手権Bグループは1997年2月21日から23日まで北海道・釧路で16チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝で吉田産業が八戸市庁を9-1で破り、初優勝を飾りました。
第16回全日本女子選手権Aグループ(1997年3月12日~16日@北海道・苫小牧)
このシーズンから大きく大会方式などが変更されました。世界選手権同様に順位でランクが分けられ、Aグループは8チーム、その下に新たにBグループが設けられました。前回大会のベスト8がAグループを構成する予定でしたが、1チームが辞退したため、2月に開催されたBグループ優勝の六花亭マルセイズがAグループに昇格。Aグループは8チームを4チームずつの2ブロックに分けて予選リーグを行い、その後、1位同士が対戦する決勝戦をはじめ順位決定戦(以下3・4位決定戦、5・6位決定戦、7・8位決定戦)が行われました。
Aブロックでは岩倉ペリグリンが、Bブロックは釧路六花亭ベアーズが1位となり決勝へ駒を進めました。初優勝を目指す釧路六花亭ベアーズが先手を奪いましたが、2ピリ中盤に岩倉ペリグリンが逆転し、4-3で勝利し、4連覇(8日目の優勝)を達成しました。
六花亭マルセイズが優勝した第1回全日本女子選手権Bグループは1997年2月21日から23日まで長野・軽井沢で16チームが参加し、トーナメント方式で行われ。前述の通り、六花亭マルセイズが御影グレッズを2-0で破り、Bグループを制するとともに、Aグループへ昇格しました。
第31回日本リーグ(レギュラーリーグ:1996年9月18日~11月24日・6チーム6回総当たり/プレーオフ・セミファイナル:1996年11月30日〜12月3日・3試合2戦先勝方式/プレーオフ・ファイナル:1996年12月7日~10日・3試合2戦先勝方式)
第31回日本リーグは日程・方式も昨シーズン(第30回日本リーグ)とは大きく変わりました。3シーズンぶり(第28回日本リーグ以来)に前後期制をやめて1リーグ制になりました。レギュラーリーグの各チームの試合数も40試合から30試合になりました。プレーオフは4位までが進出できることになりました。
レギュラーリーを1位で通過したのは王子製紙。開幕から順調に白星を重ね、20試合目で「イの一番」でプレーオフ進出を決めました。レギュラーリーグ2位は前回王者の西武鉄道でした。3位はコクド。昨季に続き外国人選手なしの日本人と日系人のチーム編成で戦い、最終的には3位でしたが、王子に続きプレーオフ出場を決めました。4番目にプレーオフを決めたのは雪印。古河電工、日本製紙クレインズとの4位争いに勝利しました。
王子対雪印、西武対コクドで行われたプレーオフ・セミファイナル。王子は初戦を2-3で落としたものの、その後2連勝(7-1、7-2)で勝ち上がりました。西武はコクドの接戦(2-1、延長4-3)を制しました。
ファイナルは西武と王子が対決。コクドとのセミファイナル2試合でも1点差勝ちした西武が、ファイナルでも勝負強さを発揮し2試合とも4-3と1点差勝ち。プレーオフ全4試合が1点差勝ちと、負けない勝負強さで2連覇(通算9回目の優勝)を達成しました。
第52回国民体育大会(1997年1月25日~28日@北海道・釧路)
成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で大阪が東京を4-2で初優勝を飾りました。優勝した大阪は準々決勝で栃木を5-3、準決勝で北海道を6-4で破っていました。関東以北以外の都道府県の優勝は国体として史上初の快挙でした。少年の部では14都道府県が参加し、決勝戦で北海道が青森を11-1で破り9年連続47回目の優勝を成し遂げました。
第2回全日本オールドタイマー大会(1997年2月28日~3月2日@宮城・仙台)
6チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は前回同様、長野ドリームズと八戸シニアクラブが対戦し、長野ドリームズが8-2で勝ち、2連覇を達成しました。
第69回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1997年1月6日~9日@青森・八戸)
30校が参加。決勝戦は2回戦で竜谷、準々決勝で早稲田、準決勝で大東文化を破った東洋と、2回戦で中央、準々決勝で日本大、準決勝で法政を破った明治が5年連続して対戦。1-1のまま3ピリでも、さらには10分間の延長でも両校譲らず、決着はPS戦にもつれ込みました。東洋がPSを2本決め、死闘に終止符を打ち、2年連続3回目の優勝を成し遂げました。
第46回全国高校選手権・インターハイ(1997年1月20日~23日@北海道・釧路)
31校が参加。決勝は2回戦で八戸、準々決勝は日光、準決勝で白樺学園を破り4連覇を目指す駒大苫小牧と、1回戦で釧路緑ヶ岡、2回戦で釧路北陽、準々決勝で水戸短大附属、準決勝で苫小牧工業に勝利した釧路工業が対決しました。決勝戦は2ピリ中盤以降に地力を発揮した駒大苫小牧が5-2で釧路工業を破り4連覇を達成するとともに16回目の優勝を飾りました。
第17回全国中学校アイスホッケー大会(1997年2月3日~6日@栃木・日光)
16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で群馬県選抜、準々決勝で宮城県選抜、準決勝で日光を破った苫小牧東と、1回戦で山形県選抜、準々決勝で八戸一、準決勝で日光東を破った沼ノ端が対決。決勝では苫小牧東が8-1で勝利し、初めての栄冠を手にしました。
第21回全日本少年アイスホッケー大会(1997年3月28日~31日@北海道・苫小牧)
小学生の部
12チームが参加。釧路選抜は2回戦で大阪府選抜、準決勝で帯広選抜を破り決勝進出。札幌選抜は2回戦で青森県選抜を、準決勝で苫小牧選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では釧路選抜が9-0で勝利し、4年連続6回目の優勝を飾りました。
中学生の部
12チームが参加。2回戦で宮城県選抜、準決勝で帯広選抜を破った釧路選抜と、1回戦で東京都選抜、2回戦で神奈川県選抜、準決勝で苫小牧選抜を破った札幌選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が札幌選抜を7-6で破り、2年ぶり13回目の優勝を成し遂げました。
【その他の大会・出来事】
長野オリンピック出場国決定
長野オリンピックの出場国が男子は1997年12月11日に、女子は1997年4月6日に決まりました。
男子の出場国は14カ国。出場権獲得は以下の通りでした
①1995年の世界選手権上位6カ国は長野オリンピックの決勝リーグに進出
1位:フィンランド、2位:スウェーデン、3位:カナダ、4位:チェコ、5位:ロシア、6位:アメリカ
②1995年の世界選手権の7、8位の国は長野オリンピックの予選リーグに進出
7位:イタリア、8位:フランス
③最終予選を勝ち上がった5カ国は長野オリンピックの予選リーグに進出
④開催国:日本
①②④はすでに決定していましたが、③の最終予選が1997年2月6日から11日まで、ドイツとオーストリアで行われました。
ドイツで行われた最終予選の上位2カ国のドイツとスロバキア、オーストリアで行われた最終予選の上位2カ国のベラルーシ、カザフスタンの4カ国が長野行きの切符をまず手にしました。残る出場枠は1。この1枚の切符を巡り、最終予選3位のスイスとオーストリアがプレーオフで戦い、最後の切符はオーストリアが獲得しました。
女子の出場国は6カ国。出場権は以下の通りでした。
①1997世界女子選手権上位5カ国
②開催国:日本
①の1997年世界女子選手権は1997年3月31日から4月6日までカナダ・キッチナーでカナダ、アメリカ、フィンランド、中国、スウェーデン、ロシア、スイス、ノルウェーの8カ国が参加して開催されました。決勝で二強カナダとアメリカが対決しカナダが世界選手権4連覇を達成しました。そして、カナダ以下の上位五カ国が長野オリンピック出場権を獲得しました。全順位は以下の通りです。
1位:カナダ、2位:アメリカ、3位:フィンランド、4位:中国、5位:スウェーデン、6位:ロシア、7位スイス、8位:ノルウェー。
1996パシフィックカップ
1996年8月13日から18日まで、カナダ・バンクバーなどでこれまでのアメリカ、カナダ、日本と、ロシアに代わってフィンランドが初参加して行われました。予選リーグで日本は初戦のフィンランドに3-2と接戦をものにしました。第2戦のカナダに3-4、第3戦のアメリカに0-8と1勝2敗。決勝トーナメントでは準決勝でカナダに0-6、3位決定戦でフィンランドに0-11と白星を挙げることができませんでした。
第1回IIHFインライン世界選手権
第1回IIHFインライン世界選手権が1996年8月4日から10日までアメリカ・ミネアポリスで開催されました。参加国は日本を含め11カ国。3グループに分かれての予選リーグを行い、上位8カ国が決勝トーナメントへ、下位3カ国は順位決定戦に回りました。日本は予選B組でアメリカ、ロシア、スイスと対戦し、3戦全敗で順位決定戦に回りました。順位決定戦でもオーストリア、オーストラリアにも敗れ、11位の最下位に終わりました。全順位は次の通りです。1位:アメリカ、2位:カナダ、3位:フィンランド、4位:ドイツ、5位:ロシア、6位:スイス、7位:イタリア、8位:チェコ、9位:オーストリア、10位:オーストラリア、11位:日本。
NHL開幕戦日本開催決定
1997年3月26日(日本時間27日)、ゲーリー・ベッドマンNHLコミッショナーが、「来季(1997-1998シーズン)の開幕戦、アナハイム・マイティダックス対バンクーバー・カナックス戦を1997年10月4、5日に東京・国立代々木競技場で行う」と正式発表しました。NHL公式戦が北米以外で開催されるのは初めてのことでした。長野オリンピックではNHL選手が参加することが決まっており、NHL公式戦が長野オリンピックに向け、アイスホッケーの人気アップにつながることは間違いないことでした。
第1版:2025年9月30日・記
- <主な参考文献>
- 日本アイスホッケー年鑑 平成8年-平成9年 第16号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1996年10月号、1997年1月号、2月号、3月号、4月号、5月号、6月号、8月号(発行:ベースボール・マガジン社)